2025.03.23
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「前原を学生街に」には通過点 | ミッション刷新にかかわるENGAWA Project発起人の想い
設立から6年、わたしたちENGAWA Projectはミッションを刷新すると同時に、新しくコンセプトとビジョン・バリューを策定しました。
ENGAWA Projectの発足からミッション刷新に至る経緯について発起人・松本崇人の思いをこちらの記事で紹介しております。
お時間あるときにぜひお読みください。
地域に育てられた私
私は地域に育てられました。
近くの工房のおじさんは、行くと必ずガムをくれました。アパートの一階、角部屋に住んでいた女性とは一緒に「ぷよぷよ」をして遊びました。目の前の芝生農家さんはいつも金柑をくれました。1つ1つは小さなことかもしれないけれど、とても温かな地域でした。
そして、そこには必ず会話がありました。その人の思っていること、気にしていること、心配してくれること、されること。そして、生活もありました。毎日働く大人の姿が身近で、苦労する大人に、子どもながら「頑張っててすごいな」と思った記憶があります。そのつながりと情景の中で私は育ちました。残念ながら、その地域からは小学3年生の時には引っ越して、都会に移り住みましたが、学んだ言葉や、優しさはそのまま今になっても私の中にあります。
小学3年生の途中からは、地域のつながりが希薄な都会に住まい、大学生になる頃には、地域の中に住まう感覚はほとんどなくなってしまいました。一人暮らしが始まっても「隣の家の人の顔を知らない」はあたり前。それどころか、隣に人が住んでいることに1年間気づかないくらいでした。
私自身も、地域に根ざして生きたかったし、他の大学生にもそうあって欲しかった。キャンパスを飛び出して、身近な大人から学べることがたくさんあるはず。だから私は、iTOPという「学生と地域を繋げるまちづくり」を掲げる学生団体で代表を務めることにしました。
前原を見つけるまで
iTOPの先輩たちが残してくれた言葉の中で「学生と地域の大人がまちの居酒屋で飲んでいる景色を当たり前にする」という一言にものすごく共感していました。地域に育てられた私からすれば、理想的な情景です。居酒屋にいけば大人と話せる。その人が何をしている人で、何を頑張っていて、若い頃はどうだったのか、言葉を交わすことができる。道端では聞けないことでも、お酒の席なら深く話せるかもしれない。
ただ、残念ながら大学の最寄り駅といわれる九大学研都市にはその余白はありませんでした。駅前の居酒屋はチェーン店で仕切りがあり、隣の人と話すのは難しい。個人経営の居酒屋さんも、とても綺麗な空間ですが、隣の人に話しかけるのは少し憚られます。どうやったら、学生とまちの人が普通に話せる景色を作れるだろうか、そう悩んでいました。
そんな時に、たまたま寄ったのが前原でした。iTOPの代表として要件があって、前原に行ったとき、商店街にいくつもの居酒屋さんを見つけました。
私はその当時、1人で居酒屋に行ったことがありませんでした。だから、いつかやろうと思っていた1人飲みに、この場所で挑戦することにしました。とても緊張したことを覚えています。
「いち」というお店が初めて1人行ったお店でした。私の緊張は、のれんを潜ったと同時に消え去ることになります。カウンターに座っていたおじさんがこちらを見て「お!にいちゃん若いね!1人?こっちで飲もうよ」と速攻で指定席を作ってくれました。すごい。ずっとできなくて悩んでいたことなのに、5秒で解決しました。
ENGAWA Projectの始まり
そこから、「前原に学生を連れてくること」を決意します。学研都市では難しかった景色もこのまちなら実現できるかもしれない。学生時代は「筑前前原」駅にイメージはなく、JR筑肥線の学研都市より10駅向こう=他県くらいの感覚でした(実際には4駅隣で同じ県内)。大学生の2年生になるまで、全く印象はなく、知らないまちでした。
2018年10月1日、強烈な大家さんとの出会いもあり、前原に引っ越します。そして翌日の10月2日に、ENGWA Projectを設立しました。その当時、私は大学3年生でした。
ここで掲げたのが、「前原を学生街に」という言葉。「遊ぶ」「過ごす」「働く」「学ぶ」そして「住む」。前原に大学生が居て、まちとの距離が近い情景をイメージして掲げた言葉です。
そこからたくさんのプロジェクトが立ち上がりました。まず最初に始めたのは、みんなの友達の家「TD9」。学生が1番いるのはやっぱり友達の家です。だから、みんなが遊べる友達の家(学生寮)を作ることにしました。次に始めたのは学生居酒屋。学生とまちの大人が話しながら飲める場所を作りました。そして、もっと大学生の近くにアートがあって欲しくてギャラリーを始め、縁があって2つ目の学生寮「AD9」とゲストハウスを始めました。まだまだたくさん取り組みをしていますし、していく予定です。
活動を大学生のものにするために
取り組みを「してく予定」などと、あたかも自分がやっているように書きましたが、実際は全て学生たちがやっています。私は創始者という立場ですが、学生たちの活動を邪魔しないように必死です。
私が大学3年生のときにイメージできていたのは「学生がこのまちに来たら、何か面白いことが起こるのではないか?」という期待です。実際の社会効果やまちに起こる具体的な変化までは想像できていませんでした。6年間活動を続けて、少しずつ「前原を学生街に」したその先にある景色が見えてきました。
だから、このタイミングで全てを学生のものにすることにしました。団体のミッション、ビジョン、バリュー(MVV)という脊髄にあたるところを、学生たちが自分で決めることで、本当の意味でENGAWAを学生のものにできると考えました。
そこから、5回のMission会議を行いました。私は、会議の構造だけ決め、口を挟まず、書記に務めました。その中ででてきた一言一言が素敵すぎて、まとめるのが本当に大変でしたが、なんとか学生たちの言葉を形にすることができました。
どうしても、MVVには入りきらず、コンセプトという形で「すきにするまちづくり」という言葉を残しました。「まちの人にもっとまちを好きになってほしい」ー大学2年の女子学生からでてきた言葉でした。こんなに立派なことを考えられる学生たちです。何かに思考を縛られる必要はないだろう、そう思って「すきにしてほしい」という2つの意味を持たせました。
私が大学3年生のときには思いつかなかった景色です。大学生はこのまちに、「すきに」学生生活を謳歌しにくる。このまちの資源を使って、何かあたらしいことにチャレンジしてみる。その結果、それが、住む人と、活動した大学生の「このまちがすきだ!」という気持ちにつながるのであれば、それは素敵なことだと思います。そんな気持ちを持って、10年以上残るコンセプト、ミッション、ビジョンを変更しました。
刷新したミッションと、新しくコンセプトとビジョン・バリューはこちらからご覧いただけます。